【豆知識】ウイスキーブランド「ジョニーウォーカー」の歴史について

2015年11月19日

世界5大ウイスキーの一つとして知られるスコットランドのスコッチ・ウイスキーですが、定義としては糖化を始めとして、発酵、蒸留、熟成に至る全ての過程がスコットランドで行われているウイスキーの事を指します。今回は、そのスコッチ・ウイスキーの中でも、長い伝統を持ち、世界的にも著名なブランドである「ジョニーウォーカー」についての歴史をご紹介します。

 

全ての始まりは、今から200年以上前の1805年にまでさかのぼり、スコットランドのキルマーノックで農業を営む家族の長男として、ジョン・ウォーカーが生を受けます。彼は父親が亡くなった直後、弱冠14歳にして、農場を売却した資産を元手にしてエアシャーで小さい食料品屋を開き、その中でウイスキーの販売を開始しました。彼の食料品屋は大成功を収め、中でもウイスキーはオリジナルのものにするなど、高い評価を得る事になりました。このウイスキーがジョニーウォーカーとして世に広まったのは、彼が亡くなり、息子であるアレクサンダー・ウォーカーが食料品屋を引き継いだ後でした。

 

※ウォーカーのキルマーノック・ウイスキーとして販売されていた 時代の空き瓶

アレクサンダーは堅実な戦略でウイスキーの事業拡大を進めていき、ジョン・ウォーカーのウイスキーの売上率が8%だったのに対して、アレクサンダー・ウォーカーのウイスキー売上率は90%にまで大きく上昇します。また、アレクサンダーのブランドを一新するため、ボトルは四角い形状のものとし、「ジョニーウォーカー」と書かれ、24度の角度で貼るラベルの意匠も登録されました。このデザインは昔ながらのハイランドウイスキーとして世界中に広まり、ジョニーウォーカーは世界のウイスキー業界でも知られるようになります。

449x600-2015101800001[1]

※希少なジョンウォーカーオールデスト

1879年にはオーストラリアのシドニーで行われた国際博覧会で賞を受賞し、その後にパリやメルボルンなど様々な国際的な舞台でも受賞が続きました。アレキサンダーは「品質を下げる事によって安価に生産してはどうか」という甘い誘いを拒み続け、あくまでも高品質を追求し続けます。アレキサンダーは1889年に亡くなりますが、息子であるアレキサンダー2世がこの事業を引き継ぎ、彼はカーデュ蒸溜所を買収する事によって、他の競合会社よりも先に、シングルモルトウイスキーであるカーデュの安定供給化を成功させます。その後も「創業1820年-今も続く、力強く!」という有名なスローガンの採用やボトルも初代アレキサンダーの考案した四角いボトルに統一されるなど、ジョニーウォーカーの現代的なブランドがこうして確立されるに至りました。